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執筆者の写真益子晃人

原点とも言うべき場所

この週末は、奥日光の菖蒲ヶ浜キャンプ場へ行ってきました!



目的は、カヌーでもなく、キャンプでもありません。

じゃあ何をしに⁇

と、私を知る皆さんは思われるでしょう。


何かというと…

簡単にいえば、同窓会です!

もうちょっと詳しくいうと、高校の時の部活の集まりなんですよ。

一昨年より企画されていたのですが、コロナ禍により延期されていたイベントで、やっと開催のはこびとなりました。


(迷幹事のおかげで3時間前から練習開始)

今もおじさんだらけの会合が多くありますが、

男子校出身の私は、10代も男臭いことばかりです(笑)


実はといいますか、私

高校、大学と陸上部(長距離)だったんです。

鳴かず飛ばずの選手で、今ブダペストで開催されている世界陸上も大学生当時、同じ歳の渡辺靖幸氏(早稲田大学)が出ているのをTVで尊敬の眼差しで見ていました。


そんな私の運動部変遷。

小学、中学生時代は、キャプテン翼世代ど真ん中で、サッカー一色の生活をしてました。

小学生の頃は、補欠でBチーム。

中学生になって体力もついたのか、スタメン選手へ。

ただセンスはさほどなく不動のサイドバック。

かっこよくいえば、内田篤人と同じ右サイドバックです!!


側からみて内容と結果を一番出していた中学時代。栃木県大会で準優勝を果たしたこともありました。

それでも、どこかに推薦入学できるような素質もなく、近くで将来を見据えて選んだ大田原高校へ進学するのでした。


もちろん、サッカーを続けようという気持ちでいましたが、中学時代は足もそこそこ早くなっていて選抜の陸上部としても大会に参加していた(ほぼ実績はないけど)ためか、当時赴任したばかりの大金監督に声をかけて頂き陸上部としての生活が始まるのでした。


その世界、栃木では有名な方(監督)でしたが、元々陸上は好きでなかったこともあり、監督がどんな方かも知らずに入部。

(監督の現役時代は、箱根駅伝で日体大の優勝メンバーで、今や10,000人走る勝田マラソンの優勝経験者だったりします。)


着任したばかりで、当時は長距離選手は不在。

私を入れて、一年生8人(駅伝は7人)で大田原高校陸上、長距離ブロックが始まりました。


決して好きじゃなかった長距離、いわゆるマラソンがいつのまにか好きになり、気がつけば生活の一部にまでなっていました。

友達にも「なんで走ってるの?」「楽しい⁇」ってよく聞かれることもありました。

一年生の頃は、自分でもよくわからない感じ。

ただ、自分の可能性を追求してたような気がします。

それが、7人の仲間に支えられ、朝から晩まで家族よりも長い時間と苦楽を共にし、いつのまにか自信を持って楽しいと言えるようになっていました。


ちなみに、実力は8人中8番目。

段々に後輩が出来ていっても、概ね後ろの方…

そんな高校陸上生活を送りました。


ただ、ふつうとちょっとちょっと違ったのが

他校との交流ともいえる合同合宿が、監督の繋がりで長期休みの期間開催されていたこと。


当時県内の覇権争いをしていた真岡高校、佐野日大高校と我々大田原高校。 (在籍した3年を含む前後20年の間、19年はこの3校のうちの1校が優勝していました。)

そんな3校はそれぞれの監督の力と縁もあり仲良くさせてもらっていました。

他校でライバルでもあるけど仲間でもありました。

インターハイに出場する選手たちもたくさんいました!

そんなすごい選手たちが、私みたいな選手にも声をかけてくださる。

身の回りいるたくさんの人たちに生き方を教わった気がしています。


陸上選手としては、大して伸びることもなかったですが、ただ“走る”ということに対して様々なアプローチや努力をしたということは、大きな経験となっています。


個人競技と思って始めた陸上部でしたが、三年間やってみて気づいたことは、中身は団体競技でした!


確かにトラックで走れるのは、1人。

駅伝の区間もそれぞれ1人。

でも、その一人を支えているのは日々の仲間だったんです。


どんなにタイムが遅くても

続けようと思ったのは、こんな経験から。

自分のしたいこと、やっていることが誰かの役に立っている。

例えメンバーに選ばれなくてもやりたいことが続けられる。共に前へ進むことが出来ることを知った。

だから、大学も陸上部のある学校を選びました。

なので、

きほんは体育会系人間です。

ただ、理不尽な上下関係は好きじゃないので、そんな風に後輩たちにも接してきたつもりです(汗)


ただ…

当時思っていた一生(日々)現役は、諸事情により?実行出来ておりません。

一応、体力維持も含めて各年代ごとにフルマラソンは完走出来ております。

最近になって、50代記録の課題が出されたところですが…


私の残せたフルマラソンの記録があります。

ま、高校生がフルマラソンって基本走らないんですけど…

1990年の17歳の年別全国ランキング1位。

栃木県のランキング確か一桁順位。

初マラソン記録が生涯記録となってしまう珍事。

公認記録、2゜44’29”



唯一話せる記録かもしれません。

そんな競技人生。



大田原高校陸上部の集まりは、何度となく開催され参加もしてきましたが、学校の垣根を越え開催されたのが今回“初”なのでした。


毎年、お盆に開催されていた日光合宿。

当時は、真岡、佐野日大のほか、県内外各地からも全国大会常連校も含め20校近くが参加していたと思います。 (卒業生の学生、社会人ランナーも練習、指導に来てくれていました。)

そんな生徒たちがキャンプ場ということもあり、半自炊で7日間、朝から晩まで走って、食べて、寝る!

そんな生活を繰り広げていました。

初日のいろは坂タイムトライアルから始まり、林道ダッシュや中禅寺湖一周、8時間jogなどなど、独特な練習が思い出されます…

奥日光に詳しくなったのは、この変?な合宿のおかげです。


ちょっと話がそれましたが、大田原高校の監督が言い出しっぺだったこともあり、大半は私達大田原高OBでしたが、それでも真岡高校の一期メンバーさん(60代)や箱根駅伝区間賞の先輩ランナーさん。

真岡高校を率いた甲田先生。

佐野日大を率いた堀込先生。

その名前を聞いて駆けつけてくださった短距離界の幻のオリンピックランナーさん

すごい方々が集まりました。

参加予定者の中には、ブダペスト遠征中の方もいたとのこと。


ひとつだけ残念だったのは、他校の同い年のメンバーがこれなかったこと。

あれから32年。

たくさん話してみたかったです。


私の人間としての基礎をつくってくれた大切な期間とこの場所。

それを脈々と続けて下さった監督さんたち。

それを40年以上見守り続けて下さったキャンプ場村長さん

ご挨拶下さったときには、初めて歴史をお聞きし、熱く感じるものがありました。


様々な経験を通してきて、今の私が生きてこれました。

私ひとりでは、絶対に出来ない経験をさせてくれたのは、間違いなくここに参加していた方々のおかげです。

改めて、10代の自分を振り返ることができた週末となりました。


後輩で今も活躍を続けるT

段取り等この場でも御礼、感謝いたします。

集合写真楽しみにしてますよ〜♪


また来年、彼の地日光で

30数年ぶりの再会を楽しみにしております。



p.s.

早朝カヌーも楽しませて頂きました!

監督からも一度、乗せろ!!

と言われていましたので、こちらもやっと実現です。

よほどよかったのか、今度は千手が浜へ行くぞと、要請がきました(汗)


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